青森県三戸郡階上町赤保内寺下8
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寺下観音 /Terashita Kannon

第45代天皇・聖武天皇の神亀じんき元年(724年)から5年をかけて創建された海潮山應物寺に由来する、歴史の長い観音堂です。
飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した大僧正・行基ぎょうき(天智天皇7年(668年)~天平21年(749年))が開基と伝えられ、納められている観音像も行基の作と伝えられています。

その後、文治ぶんじ2年(1186年)経津主命ふつぬしのみことを観音堂に併せてまつり、以来、神仏混淆しんぶつこんこうの聖地として崇信されました。
明治に入り、神仏習合しゅうごうを禁じた神仏分離令により、観世音と経津主命を分けて祀ることとなり、現在の観音堂が建てられました。それまでの社殿は引き続き、経津主命を祀る潮山うしおやま神社となっています。

寺下観音堂の傍らには鐘撞堂があり、享保きょうほう4年(1719年)に鋳造されたとされる梵鐘ぼんしょう(階上町指定有形文化財)には、鎌倉時代に落雷で焼失していた應物寺を再興した僧侶・江山が記したとされる、寺下観音堂の由来をまとめた「應物寺廃頽はいたいの記」が刻まれています。

観音さま

称名しょうみょう南無大慈大悲観世音菩薩なむだいじだいひかんぜおんぼさつ
聖観世音真言:オン アロリキャ ソワカー


寺下観音像
僧・行基の作と伝えられる

仏教においての最終到達点は「さとり」を得ることで、この「悟り」とは迷いの世界を越え、真理を体得することです。
ほとけ」とは、悟りを開いた者である「仏陀ぶっだ如来にょらい)」のことを指す言葉ですが、より広い意味で、悟りを開くために修行している「菩薩ぼさつ」や「明王みょうおう」「護法善神ごほうぜんじん」など、信仰の対象となる尊格を含めて「仏(仏尊)」と総称します。

「菩薩」の中でも良く知られている仏さまが観世音菩薩で、一般に「観音さま」と呼ばれています。
般若心経はんにゃしんぎょう般若波羅蜜多心経はんにゃはらみったしんぎょう)」の冒頭に登場する菩薩でもあり、「般若(修行の結果得られた、全ての物事や道理を明らかに見抜く深い智慧)」の象徴です。

観音さまは、死後の世界にいて「しあわせ」を授けてくださるだけでなく、生きている現在の世界(現世)に於いても、人々に「しあわせ」を授けてくださる(現世利益)有難い「ほとけ」さまです。しかも、その功徳くどくは、お願いすれば「すぐ」に現れるという速効性をもつために、古くから多くの人々に信仰されています。

「観世音」というのは、世の人々がいろいろな災難や苦悩を受けて救いを求め、一心に観世音の御名を唱える(一心称名)とき、その音(音声おんじょう)をて、直ちに助けてくださる(即日皆徳解脱)「ほとけ」さまなので、この名がつけられたのだそうです。
普通、音は耳で聴くものですが、観世音はこの音と観ずるのです。
「観ずる」というのは、よくよく「観察する」という意味で、救いを求める音声が、本当に真剣なものかどうか、単なる口先だけのものであるのかよくよく観察して、本当に真剣なものであれば、直ちに救いの手をさしのべて下さるというのです。

そのために、自分のお願いが、いかに真剣なものであるかを観世音によく観ていただくために、古くからいろいろな観音信仰の方法が考えられてきました。
七度詣、三十三度詣、百度まいりなどのほか、観音欲日よくびと称して、各月毎に特定日を定め(寺下観音は毎月17日)、その日に観音詣りをすれば、多くの巧徳を得られるというものなどありますが、その中で最も観音巧徳の多いもの、霊験あらたかな信仰方法として三十三観音霊場巡礼にまさるものはないといわれてきました。

梵鐘


寺下観音の梵鐘

梵鐘ぼんしょうとは、いわゆる釣り鐘のことです。
法要など仏事の予鈴としていたり、時報としても用いられることがありますが、その響きを聴くものは、一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされています。

寺下観音の梵鐘は、享保4年(1719年)に八戸藩4代藩主・南部甲斐守広信(宝永6年(1709年)~寛保元年(1741年))より寄進されたもので、「海潮山應物寺廃頽の記」が刻まれています。

「海潮山應物寺廃頽の記」は仁治にんじ3年(1242年)に、落雷を原因とする山火事によって焼失していた應物寺の灰塵の中から、寛元かんげん4年(1246年)に僧・江山が観音像などを拾い集め、そのことを記録したものです。再建された應物寺の毘沙門天びしゃもんてん像の胎内たいないに隠されていたものを、正徳しょうとく2年(1712年)に僧・津要玄梁しんようげんりょう(延宝8年(1680年)~延享2年(1745年))が発見しました。

三十三カ所観音巡礼

巡礼じゅんれいとは、誓願成就せいがんじょうじゅ霊験れいげん恩寵おんちょうの祈願・贖罪しょくざいといった目的をもって霊場をめぐることです。
三十三という数は観音菩薩が三十三の姿に化身して、人々を苦しみや悩みから救うという三十三身普門示現ふもんじげんからおこったといわれます。

現在の和歌山県、大阪府、奈良県、京都府、滋賀県、兵庫県そして岐阜県に点在する観音信仰の霊場「西国三十三カ所」は、徳道とくどう上人しょうにんが開祖といわれています。
徳道上人(天武天皇15年(686年)~天平7年(735年))は病のため亡くなって冥土めいど(死後、魂が行くとされる世界)へ行ったところ、閻魔えんま大王から「日本には三十三の観音霊場があり、これを巡礼すれば罪は清められ、苦しみや悩みから救われるが、まだ誰もこの霊場を知らないから帰ってひろめるように」といわれ、三十三の宝印を授けられて蘇生そせいしたしたと言われています。

寺下観音の西国三十三観音像

寺下観音境内には西国三十三カ所巡礼の観音様が祀られており、ここでお参りすれば、西国三十三カ所巡礼のご利益を受けられるといわれています。

寺下観音の仏像:西国三十三観音像

奥州南部糠部三十三カ所観音霊場

奥州南部糠部おうしゅうなんぶぬかのぶ三十三カ所観音霊場は、寛保かんぽう3年(1743年)に八戸天聖寺八世・則誉守西そくよしゅさい上人によって定められました。
これは現在の青森県八戸市、階上町、南部町、三戸町、田子町、岩手県二戸市、一戸町、軽米町に点在しています。

何かの機会に巡礼してみてはいかがでしょうか。
寺下観音は、この糠部三十三観音霊場の一番札所となっています。

奥州南部糠部三十三カ所観音霊場(一覧)

寺下観音・潮山神社 例祭日

毎年5月第3日曜日は、寺下観音・潮山神社の例祭日となっています。

2025年5月18日(日)

出版物

寺下観音が登場・紹介されている本です。

糠部三十三札所:奥州南部観音霊場巡り

滝尻善英 著/デーリー東北新聞社

奥州糠部三十三観音霊場を紹介しています。
参拝方法や作法、身支度についても紹介され、別冊の携帯用巡礼案内も付属するなど、糠部三十三観音霊場を巡るための必携本となっています。

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みちのくに みちつくる(前編)

しまたけひと 著/双葉社

作者が「みちのく潮風トレイル」のルート確定前の2013年秋に、予定ルート全線を歩いた取材記録を元としたフィクション漫画です。
のちに正式にルートに組み込まれた寺下観音にも訪れています。

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アクセス

寺下観音の場所をご案内します。

青森県三戸郡階上町大字赤保内字寺下8

  • JR八戸線・階上駅より 約5km
  • 階上町役場より 約3.1km
  • 三陸道・種差海岸階上岳インターチェンジより 約5.9km
  • 三陸道・階上インターチェンジより 約2.9km