青森県三戸郡階上町赤保内寺下8
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寺下観音年表 /Terashita Kannon Chronology

寺下観音の歴史

年表

時代区分西暦和暦桑原家の家系
(古文書に出てくる名前)
潮山神社・寺下観音等の変遷
奈良時代 724年 神亀じんき/しんき 元年 僧・行基ぎょうき/ぎょうぎ(天智天皇7年(668年)~天平21年(749年))、神亀元年から5年をかけ、寺下の地に應物寺を創建し、観音像(高さ65cm)を彫むと伝えられている。

行基の作と伝えられる寺下観音像
平安時代 1108年 天仁てんにん 元年 桑原家(記録あり)
1109年 2年 桑原荘司(荘司は位だと思われる)
鎌倉時代 1186年 文治ぶんじ 2年 寺下観音堂に経津主命ふつぬしのみことを合わせてまつられる。以来、神仏混淆しんぶつこんこうの聖地として崇信すうしんされることとなる。
1189年 5年 平泉藤原氏討伐で功績を挙げた南部三郎光行(永万元年(1165年)~嘉禎2年(1236年))糠部ぬかのぶ五郡の地をたまわり地頭職となる。
1242年 仁治にんじ 3年 別当・桑原普門院治清 應物寺、全山雷火による山火事のため、灰燼かいじんに帰したと伝えられる。
1246年 寛元かんげん 4年 僧・江山、應物寺の灰燼の中より観音像及びその他の宝物を拾い集め、このことを「應物寺廃頽はいたいの記」として記録するとともに、應物寺を再建したと伝えられる。
室町時代 1444年 文安ぶんあん 元年 琳阿孝寛りんあこうかん大和尚により、道仏の西光寺が開基する。
これにより、現在の階上町の集落の基礎が誕生したとされる。
戦国時代
安土桃山時代
江戸時代 1626年 寛永かんえい 3年 寺下別当、粂(名前) 現在、潮山神社の社殿となっている旧観音堂が建立される。

現在、潮山神社社殿となっている旧観音堂
1665年 寛文かんぶん 5年 前年に盛岡藩(南部藩) 二代藩主・南部重直が継嗣を定めずに病没したため、この年、幕府の命により領地が分割され、八戸藩2万石が成立。
1693年 元禄げんろく 6年 別当・普門院治清
1696年 9年 別当・桑原氏
1712年 正徳しょうとく 2年 別当・痴丈 僧・津要玄梁しんようげんりょう(延宝8年(1680年)~延享2年(1745年))、寺下観音に参籠し、毘沙門天像に隠されていた「應物寺廃頽の記」を発見する。
津要玄梁は湊の若松屋出身で、盛岡の祇陀寺きだじの住職を35歳で辞し、寺下に草庵を結んだ。
別当・桑原三十郎
1715年 5年 別当・沙門痴丈
1717年 享保きょうほう 2年 別当・桑原氏
1719年 4年 別当・三十郎 八戸藩 四代藩主・南部甲斐守広信ひろのぶ(宝永6年(1709年)~寛保元年(1741年))、寺下観音堂に鐘を寄進する。南部広信は八戸三社大祭の基礎もつくっている。

「應物寺廃頽の記」が刻まれた梵鐘
(階上町指定有形文化財)
1730年 15年 寺下灯燈明堂落成供養、津要和尚、八戸浦の諸国廻船の海上運般を祈願。八戸藩主・南部広信より、常灯明料として、毎年銭5貫文を別当・野沢彦六に給されることになる。
この燈明堂は日本最古の灯台と言われています。

現在の燈明堂
1743年 寛保かんぽう 3年 天聖寺八世捜連社則誉守西そくよしゅさい上人しょうにんが奥州南部33ヶ所の堂舎を決択し、東門寺下観音を一番と定める。
1745年 延享えんきょう 2年 寺下五重塔落成(8月4日)、高さ12m。
僧・津要玄梁 死去(閏12月25日、66歳)
「前永平祇院先住石橋玄梁大和尚禅師」

寺下五重塔(大正2年8月の暴風で倒壊し、現存しない)
1754年 宝暦ほうれき 4年 別当・寺下甚之丞
1787年 天明てんめい 7年 別当・寺下甚之丞
1793年 寛政かんせい 5年 別当・寺下甚之丞
1797年 9年 別当・寺下甚之丞
1802年 享和きょうわ 2年 別当・桑原甚兵衛
1818年 文化ぶんか 15年 別当・桑原久右エ門
1832年 天保てんぽう 3年 別当・桑原久右エ門 八戸の四大飢餓の一つ、天保の大飢饉「七年飢渇けがじ」が発生。八戸藩は農民の一日の食事はひえ三合と定め、残りは藩が強制的に安く買い上げる政策をとる。
1834年 5年 八戸藩で2万人を超える農民が決起する「稗三合一揆」が起こる。

天保百姓一揆書留 天保5年(1834年)
(階上町指定有形文化財)
1847年 弘化こうか 4年 別当・桑原久右エ門
1854年 嘉永かえい 7年 別当・桑原久右エ門
1857年 安政あんせい 4年 仮名主・寺下村 久右エ門 八戸藩士・蛇口へびぐち伴蔵ばんぞう胤年たねとし、水利事業の願文額を寺下観音堂に納める。

蛇口胤年願主 願文額 安政4年(1857年)
(階上町指定有形文化財)
別当・桑原久右エ門
根城南部以来の地頭
八戸藩主9代目 仮名主
1860年 万延まんえん 元年 八戸藩士・蛇口胤年、水運開発事業記念の碑を、市野沢街道の鴨平に建てる。
1864年 文久ぶんきゅう 4年 蛇口用水路、寺下・石ノ倉両所より、蒼前平の中央に達する。
1866年 慶応けいおう 2年 蛇口胤年、蒼前平の開墾事業成功を見ないままに死去する(9月8日、57歳)
1868年 4年 神仏分離令公布(3月28日)。以後、廃仏毀釈はいぶつきしゃく運動が盛んになる。
近代 1869年 明治 2年 諸藩の藩籍返還し、諸藩主を諸知事に任命する。
八戸藩 九代藩主・南部遠江守信順のぶゆき(1814年~1872年)、八戸藩知事となる。
1871年 4年 寺下観音堂を廃し、そのあとに潮山神社を建立し、村社となす。
寺下観音像は八戸市妙の伝昌寺に預けられる。
1874年 7年 桑原家、寺下観音堂の建立を願い出、再建成る。

現在の寺下観音堂
1877年 10年 管理者・桑原宮吉
1889年 22年 町村制施行のため、田代村、晴山沢村、平内村、鳥谷部村、金山澤村、赤保内村、道仏村、角柄折村が廃され、三戸郡階上はしかみ村となる。
1913年 大正 2年 寺下五重塔、暴風のため倒壊する(8月)
この年、明治35年(1902年)から連続して発生していた冷害のうち、青森県最大の被害が発生。
1917年 6年 管理者・桑原市三郎
1941年 昭和 16年 管理者・桑原一郎
現代 1954年 29年 海潮山應物寺、角柄折に再興される。
1977年 52年 管理者・桑原三津夫
1980年 55年 三戸郡階上村を改め、三戸郡階上町になる。合併を伴わない昇格は、青森県内でこれが最後。
2003年 平成 15年 管理者・桑原一夫くにお
2019年 令和 元年